2014年05月20日22:50
徳川家康ゆかりの町〓
カテゴリー │悠美より
+.‥.+.‥.+.‥.
お久です(((o(*゜▽゜*)o)))
悠美ですっo(`∇´)o尸"
日記書きまぁ-すっ(・◯・)ノ
**5月18日,日曜日**
【祈りの芸人】
津軽三味線 白井勝文サンの、3,11 東日本大震災 チャリティーコンサートに行って来ました ♪
おしん舞台の時に観に来て下さった 母の知人の方が主催する事もあり、
なんと偶然にも「徳川家康公の命を救った話しの津軽三味線弾き語り」と聞き、徳川家康の舞台をやる偶然とあって、ワッ (*'○'*)みたいな(>∀<●)笑
が最初は正直、「津軽三味線」と言う物がアタシに理解出来るかなぁ(((o(*゜▽゜*)o)))と思いながらも、。
【藤枝白子町誕生物語】
今から430余年前のお話し。
1582年(天正十年)6月2日、京都・本能寺で織田信長が家臣の明智光秀に襲われ四十九年の生涯を終えた「本能寺の変」から始まります。
【伊賀越え】
この静岡にある藤枝・白子町が誕生したのは、勢州・鈴鹿・白子の小川孫三が徳川家康を助けた功績により、駿州・藤枝・白子町が誕生し、現在は藤枝白子名店街として受け継がれており、
このお話しが、後の世にも語り継がれて行く事を祈り、来年の没後400年の節目の前に この冊子が出来上がったとの事です。
└|?|┐♪┌|?|┘
なんだか随分話しの内容端折りましたが\(☆▽☆)/
長くなるからすみませんっっっ←
が感動したんですよ^ ^
色々と。
まず津軽三味線に付いて話すと、
元々は青森県津軽地方で盲目の旅芸人達が始めた門付け芸だそうでして、
彼らは坊様(ボサマ)と呼ばれ長く蔑まれ、家々の軒先で三味線を弾き歩き、米やお金を貰って歩いたとされてます。
そしてやがて民謡の旅まわり一座などで弾かれるようになり、名人達の手によってより発展して行く事になって行くんです。
よく、演歌などに三味線が使われる事は知って居たけど、「津軽三味線のみ」の独奏として弾くのを聴いたのは初めてだったので、そのたった3本の弦で奏でる音色と、それに合わせて 徳川家康公の話しを語るる声が調和して、
あ、日本昔話しとかあったじゃん?
昔TVで(・◯・)ノ
知ってます?|u ̄)..
や、なんかさ、例えるならあんな感じだったんだなぁ。
目を瞑るとね、情景が浮かんだですよ、ほんと(゜゜)(。。)
他にも色々な曲を 第一部では聴かせて頂いたんですが、
撥を皮に叩きつけるように弾いたり、掬ったりしながら、その合間に指で押したり、はじいたりのみで三味線を演奏し、
力強く、そして時には、か細く透き通る音や妖艶な響きを奏で、明るく楽しい音であったり、又風や海、自然音を描写し、大地を賛美する。
津軽三味線の音色には様々な表情を感じる事が出来、この弾き語りから、徳川家康の一部分ではあるけれど、少しでも知る事が出来 とても素敵な時間を過ごせました^ ^
何よりなんてゆうか、舞台人とゆうか、「伝えたい!」そうゆう気持ちがある人のオーラと言うか、迫力とゆうか、本当に凄いなぁと、心底思い感じました。
そしてそして、生まれて初めて津軽三味線と言う音に触れられた事もとても嬉しかったです ♪>(O^*)
アタシたち役者やダンサーは、身体全部で表現すると共に、台詞を言ったり、身振り手振りで観て居る人に伝えたりするけれど、
たった一つの音でも、人を惹きつける事が出来るんだなぁって。
もちろん今迄も、ピアノや太鼓演奏など、何度か聴く機会があり、毎回感動するけど、
やっぱり初めて出会う音色だったんで、ヤバかったですね\(☆▽☆)/
ちなみに津軽三味線を耳なし芳一と勘違いしてましたε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
これは琵琶だったんすね(((o(*゜▽゜*)o)))
今更でした┌(__;)┐
とにかく色々な世界観に触れる事って、素晴らしやだぁ~ッッと、毎日忙しくしてると忘れてしまいがちな気持ちを思いだし(*^◯^*)
今週は万桜チャンにも横サンにも会えるなぁ(^▽^)人(^▽^)
万桜チャンも懐いて来てくれて可愛いし笑
横サンのお話しは勉強になるし(^)-oo-(*^^)
みんな元気ですかね?笑
今週の稽古は土日ですo(`∇´)o尸"
さぁさ、みんなと顔晴んなきゃ笑
さ、歯磨きしたら寝ますかね笑
ちゃお**
悠美☆彡
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お久です(((o(*゜▽゜*)o)))
悠美ですっo(`∇´)o尸"
日記書きまぁ-すっ(・◯・)ノ
**5月18日,日曜日**
【祈りの芸人】
津軽三味線 白井勝文サンの、3,11 東日本大震災 チャリティーコンサートに行って来ました ♪
おしん舞台の時に観に来て下さった 母の知人の方が主催する事もあり、
なんと偶然にも「徳川家康公の命を救った話しの津軽三味線弾き語り」と聞き、徳川家康の舞台をやる偶然とあって、ワッ (*'○'*)みたいな(>∀<●)笑
が最初は正直、「津軽三味線」と言う物がアタシに理解出来るかなぁ(((o(*゜▽゜*)o)))と思いながらも、。
【藤枝白子町誕生物語】
今から430余年前のお話し。
1582年(天正十年)6月2日、京都・本能寺で織田信長が家臣の明智光秀に襲われ四十九年の生涯を終えた「本能寺の変」から始まります。
【伊賀越え】
この静岡にある藤枝・白子町が誕生したのは、勢州・鈴鹿・白子の小川孫三が徳川家康を助けた功績により、駿州・藤枝・白子町が誕生し、現在は藤枝白子名店街として受け継がれており、
このお話しが、後の世にも語り継がれて行く事を祈り、来年の没後400年の節目の前に この冊子が出来上がったとの事です。
└|?|┐♪┌|?|┘
なんだか随分話しの内容端折りましたが\(☆▽☆)/
長くなるからすみませんっっっ←
が感動したんですよ^ ^
色々と。
まず津軽三味線に付いて話すと、
元々は青森県津軽地方で盲目の旅芸人達が始めた門付け芸だそうでして、
彼らは坊様(ボサマ)と呼ばれ長く蔑まれ、家々の軒先で三味線を弾き歩き、米やお金を貰って歩いたとされてます。
そしてやがて民謡の旅まわり一座などで弾かれるようになり、名人達の手によってより発展して行く事になって行くんです。
よく、演歌などに三味線が使われる事は知って居たけど、「津軽三味線のみ」の独奏として弾くのを聴いたのは初めてだったので、そのたった3本の弦で奏でる音色と、それに合わせて 徳川家康公の話しを語るる声が調和して、
あ、日本昔話しとかあったじゃん?
昔TVで(・◯・)ノ
知ってます?|u ̄)..
や、なんかさ、例えるならあんな感じだったんだなぁ。
目を瞑るとね、情景が浮かんだですよ、ほんと(゜゜)(。。)
他にも色々な曲を 第一部では聴かせて頂いたんですが、
撥を皮に叩きつけるように弾いたり、掬ったりしながら、その合間に指で押したり、はじいたりのみで三味線を演奏し、
力強く、そして時には、か細く透き通る音や妖艶な響きを奏で、明るく楽しい音であったり、又風や海、自然音を描写し、大地を賛美する。
津軽三味線の音色には様々な表情を感じる事が出来、この弾き語りから、徳川家康の一部分ではあるけれど、少しでも知る事が出来 とても素敵な時間を過ごせました^ ^
何よりなんてゆうか、舞台人とゆうか、「伝えたい!」そうゆう気持ちがある人のオーラと言うか、迫力とゆうか、本当に凄いなぁと、心底思い感じました。
そしてそして、生まれて初めて津軽三味線と言う音に触れられた事もとても嬉しかったです ♪>(O^*)
アタシたち役者やダンサーは、身体全部で表現すると共に、台詞を言ったり、身振り手振りで観て居る人に伝えたりするけれど、
たった一つの音でも、人を惹きつける事が出来るんだなぁって。
もちろん今迄も、ピアノや太鼓演奏など、何度か聴く機会があり、毎回感動するけど、
やっぱり初めて出会う音色だったんで、ヤバかったですね\(☆▽☆)/
ちなみに津軽三味線を耳なし芳一と勘違いしてましたε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
これは琵琶だったんすね(((o(*゜▽゜*)o)))
今更でした┌(__;)┐
とにかく色々な世界観に触れる事って、素晴らしやだぁ~ッッと、毎日忙しくしてると忘れてしまいがちな気持ちを思いだし(*^◯^*)
今週は万桜チャンにも横サンにも会えるなぁ(^▽^)人(^▽^)
万桜チャンも懐いて来てくれて可愛いし笑
横サンのお話しは勉強になるし(^)-oo-(*^^)
みんな元気ですかね?笑
今週の稽古は土日ですo(`∇´)o尸"
さぁさ、みんなと顔晴んなきゃ笑
さ、歯磨きしたら寝ますかね笑
ちゃお**
悠美☆彡
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